ひたちきまぐれ歳時記

茨城県北部の温暖な町「ひたち」で居心地よく暮らすためのガイドブックを目指します。

自分で生みだし、贈り合う暮らし

お彼岸で郡山の実家に帰ってきた。

磐越道を小野ICで降りると、雪が舞っていた。

気温は4℃。日立とは5℃違う。

山にまだ芽生えの気配はない。

3月は、季節のズレを一番感じる月だ。

信州富士見町に暮らしてい頃、3月に中央線で新宿に向かうと、富士見から小淵沢、白州、韮崎、甲府、東京と見事に季節が冬から春に変わっていったのを思い出す。

 

父はまず、最近作ったという羊羹を出してくれた。

f:id:munakata_kenken:20140322103010j:plain

畑で育てた小豆を自分で煮て、黒糖を入れて作ったもの。

今年4回目の作品で、今回はちょっとやわらかすぎたかな?と言う。

 

次に出してくれたのは、人参リンゴジュース。

f:id:munakata_kenken:20140322103656j:plain

母のガンが再発し、あまりものが食べられなくなった時に人参リンゴジュースがいいと聞いて、低速ジューサーをプレゼントした。

それを今は父が愛用していて、行くと必ずこのジュースを飲ませてくれる。

人参は、父が畑で育てたもの。

リンゴは、母の実家で穫れたものだ。

 

3番目に出してくれたのは、ブリ大根。

f:id:munakata_kenken:20140322103747j:plain

昨日、大根を米のとぎ汁でゆでこぼしてから、ブリのあらと一緒に数時間煮たという。

大根は、きれいに面取りしてあった。

 

お昼頃には、近くで暮らす叔母が来てくれて、混ぜご飯を作ってくれた。

亡き母の得意料理だ。

テーブルには、たくさんの料理が並んだ。

父が作ったイカニンジンも出てきた。

f:id:munakata_kenken:20140322120332j:plain

 

帰りには、父の手作りの品と野菜を持たせてくれた。

 

昨年12月、父の喜寿のお祝いを北茨城の二ッ島観光ホテルでやった。

その時、父にお祝いに何がほしいか尋ねたら、何もいらないという。

遠慮しているのではなく、実際これ以上何もいらないのだと思う。

 

自分の田畑で米と野菜を育て、食べたいものは自分で作り、人にどんどんあげる暮らし。

買う暮らしと、作る暮らしは、まったく違うのが、農家で育った私はよくわかる。

例えば、中学生の頃私は、毎夕、畑で穫れたばかりのトマトを大量に使って1リットルくらいミキサーでトマトジュースを作って飲んでいたが、これを買ったトマトでやったら500円はかかるだろう。

夏のおやつは、山盛りのトウモロコシと枝豆だった。

畑で野菜を育てていると、たくさん穫れるので、それがぜいたくでもなんでもないが、お金で買ってそれを実現しようとすれば、すごいお金になる。

 

私の農業の先生の村越さん(小田原で生き物共存実験場を主宰)は、1人5アールの田畑があれば自給できると、それを実証するための実践をしていた。

20代の頃、信州から小田原に時々通って、一緒に作業をさせていただきながら、山に野菜を育てるなどの実験を見せていただいた。

5アールとは、10m×50m。

わが家は3人家族だから、30m×50m。

これだけの田畑があれば、米も野菜も自給でき、あまった野菜は、人にあげられる。

みなが自分の家族が食べられるだけの田畑を耕し、あまったものはどんどん人にあげるような暮らしになったら、豊かな世界が広がっていくだろうと夢想する。

お金による交換ではなく、贈り合う暮らし。

人口が減り、荒れた農地がどんどん増えているのだから、実現しようとすればできないことはない。

 

お金を使うのではなく、ものを贈り合うことで回っていく暮らしが、一番の消費税対抗策だろう。